ネタバレなし感想
初めに結論から述べると、「お勧めできる」
ただし、この手のゲームを多く遊んでいる人は過度に期待しないほうが無難。
このゲームの核心は完全にストーリーの力に依存している点に尽きる。システム的には目新しさがないが、逆に言えば「ストーリーにどっぷり浸かれるかどうか」が本作のすべてを決める。
ストーリーの光り方
『三相奇談』のストーリーは、東洋風の幻想世界に怪異と謎解きを絡めた作りになっていて、ミステリー要素も強い。キャラクターごとに異なる能力(因果を断ち切る、道具を作る、絵の世界を渡る)を駆使しながら事件を解決していく構造は、ストーリーの面白さをより際立たせる仕掛けとして機能している。プレイヤーは各キャラクターの特性を理解しつつ、物語を読み解いていく必要があるため、シナリオが光れば光るほど、没入感が増す。
特に、本作のシナリオには「伏線と回収」のバランスがあり、点と点がつながる感覚があるのが魅力的だ。物語が進むにつれて「ああ、そういうことだったのか!」という発見があり、単なる一本道のストーリーではなく、知的好奇心を刺激する仕掛けが施されている。
システム面の平凡さ
とはいえ、システムそのものは特別新しいわけではない。キャラの特性を活かした謎解きは、過去の類似作品でも見られたもので、目新しさを求めるプレイヤーには物足りなさを感じる部分もあるだろう。そのため、本作を楽しむには「システム的な面白さ」よりも「シナリオへの没入」が必要不可欠だ。
デザインとキャラクター
ビジュアルの面では、キャラクターのデザインがかなり魅力的。手描きアニメーションの効果もあって、キャラが生き生きとしているのは強みだ。特に「けもなー」(獣人キャラ好き)の層には刺さる可能性が高い。狐道士、蛇画伯、狼和尚というキャラ構成も、動物×人間のミックスが好きな人にはたまらないかもしれない。
(私はブレワイのチューリに脳を焼かれてひたすら彼のことを映し絵で撮りまくった挙句の果てにプリントアウトして自室に飾ったところでようやく自分がけもなーなのかもしれないと自覚するに至ったくらいにこういう造形が好きなので、本作も当然大好き)。
総評
『三相奇談』は、シナリオを重視する人には刺さるが、システム面での革新性を求める人には向かない。「物語にどれだけ没頭できるか」が評価の分かれ目になるタイプのゲーム。プレイを勧めたいが、過去遊んだ類似ゲームがチラついてしまう可能性があるのが難点。デザインの魅力は強く、キャラのビジュアルだけでも惹かれる人はいるだろう。けもなーには刺さる……のか?(わからんけど)
ここから先はネタバレを含むので、プレイ後に読んでほしい
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ネタバレあり考察

類似ゲーム
『三相奇談』を語る上で、『パラノマサイト』との比較は避けられない。
どちらもビジュアルノベル寄りの構成で、ミステリー要素と伏線回収が鍵となるゲームデザインだからだ。『パラノマサイト』が好きな人ならハマる可能性は高いが、逆に本作のプレイ中に「あれ?パラノマサイトの方が…」と比較し始めると、没入感が削がれる可能性もある。これはストーリー依存の作品にありがちな弱点だ。
『三相奇談』はキャラの個性を活かしたパズル要素がある点で差別化されているものの、システム面では革新性が薄い。メタ視点を活かした仕掛けや、プレイヤー自身の視点を揺さぶるような演出は一度他作品で体験していれば、初見ほどのインパクトはないだろう。
あっと驚くシナリオ
なんだかんだ言っても、第四章で月羞との時系列の違いが暴かれた瞬間は心底驚いた。どれだけ頑張っても三人が交わらないのは当然のことで、巧妙なミスリードにまんまと騙されていたわけだ。痛快だった。
床が抜けて一日で直せるわけないだろとか、塩を一日またいで渡すのはさすがに無理があるだろ、とか色々と言いたいことはあるが、おおむね納得できる範囲に収まっている。ともかく月羞が白熊に化けていたことは悔しいことに最後まで気が付けなかったので天晴という気持ち。
ただし、ほかの部分はちょっと考えれば気が付けてしまう程度で、海公子=私というメタシナリオも、パラノマサイト履修済みだったからすんなり分かってしまい、ダジャレ好きのおっさん=帝も彼の前で無才帝と繰り返す下りで確実に気が付ける。
とはいえ、気が付けたからと言ってこのゲームを酷評するつもりはない。むしろ、早く気が付いてねと丁寧に誘導されたような気持ちだ。
少しずつ違和感を与えて、判断材料を与えて、疑念を抱かせた末に最高のタイミングで確信を与える。
そういったこちらの認知までもをシナリオに組み込んでいるからこそ、好評を博しているのだろうと思う。
中華ゲーシナリオあるある(ネタバレ)
余談だが、本作の設定には中華の話によくある設定がふんだんに盛り込まれていて、その点でも大いに楽しめる。
中国の創作では「画中人(絵の中の人間)」や「神の代理人」のような存在が頻繁に登場する。これは道教や仏教の影響が色濃く、天上界と人間界の関係性を描くときによく使われるテーマ。
モチーフ
「画中人」という概念は、中国の古典や伝説の中で比較的よく見られる。例えば、
画仙(絵の仙人)絵の中に閉じ込められた仙人が、特定の条件で現世に現れる話。
画魂(絵の魂) 絵の中の人物が意思を持ち、時には絵の外に出てくる。これは「倩女幽魂(聊斎志異)」などの志怪小説にも通じる。
白蛇伝の「仕女図」『白蛇伝』では、主人公が壁に描かれた仕女(美しい女性)の絵に惹かれ、後に実際の女性として現れる話がある。
キャラクター
これは道教的な世界観に基づくことが多く、天界と人間界の関係性を描くためにしばしば用いられる。例えば、
封神演義人間界の王朝と天界の神々の代理人(仙人・道士)が戦う話。
西遊記三蔵法師一行は仏の代理人として旅をし、彼らを導くのは観音菩薩という存在。
聊斎志異の妖怪変化譚天命を帯びた道士が妖怪を退治する話が多いが、彼らもまた「神の意志を代行する者」として描かれることがある。
『三相奇談』のキャラ構成(狼和尚・浄飯、狐道士・参宝、蛇画伯・月羞)も、
浄飯(和尚)→ 仏教的な因果を見抜き、それを断ち切る力を持つ → 仏の意志を代行する存在
参宝(道士)→ 道術を操り、煉丹術を駆使する → 道教的な天命を持つ者
月羞(画伯)→ 絵と現実を行き来する → 画中人としての要素を持つ
という形で、中国的な「天界の代理人」モチーフがしっかり活かされているのが面白い。
結論
『三相奇談』は、こうした中国創作の「神の代理人」や「画中人」モチーフをしっかり踏襲している作品と言える。日本の創作だと、こうした概念があまり前面に出ることは少ないから(神が直接関与することはあっても、代理人として地上に顕現する形は少なめ)、中国文化圏ならではの「神話的なリアリティ」が反映されたゲームなのかもしれない。