「オデッセイ」の名で映画化された「火星の人」の作者アンディ・ウィアーが送るSF作品。
『火星の人』で証明したウィアーの科学的リアリズムへのこだわりと、ユーモアのセンスがこの作品でも炸裂している。単なる宇宙サバイバルものではなく、友情、孤独、自己犠牲という普遍的なテーマが織り交ぜられた傑作だ。
とにかくSFが好きな諸兄は読んでみるべきだ。中には、文庫化するのを待とうとしている人もいるかもしれないが、この本は単行本で所持するに値すると思う。
以下ガンガンネタバレしていくので注意されたし。
感想
火星の人でも味わえた科学的ディティールの精緻さが大いに楽しませてくれた。宇宙船の設計や、アストロファージといった架空の存在を扱いながらも、物理学や化学に即した議論がフィクションに説得力を持たせている点が見事。もちろん、実現可能性は無いし、おいおいと突っ込みたくなるようなトンでも設定が組み込まれているが、それでこそ大衆向けのSF作品だろうと思うので問題はない。
むしろ、過大に描写することで、自然科学への興味がかきたてられるのは間違いないだろう。
本作最大のサプライズ
本作最大のサプライズはやはりロッキーだろう。主人公が宇宙船に乗せられている、といった話は「重力の大きさ」や、「振り子」の実験をしていくうちに読者に十分な想像する時間を与えている。したがって、「減速か加速かわからなけど、主人公の身にかかる重力は加速度によるものなんだろうな」くらいの予想は簡単にできる。
しかしながらロッキー。彼との出会いは心底驚いたし、楽しめるものだった。ロッキーはまさしく本作の心臓といえる存在で、彼とグレースの友情は種を超えた共感や協力の可能性を感じさせる。彼の音響的なコミュニケーション方法、異なる生理学、すべては想像を超えてきて、物語に新しい次元を加えていた。
もっとも、まったく異なる生命体同士の交流としては、あまりに短絡的な描写が目立ったのも事実だ。彼らの間に言語的なコミュニケーションが成り立つまでの過程があまりにもあっさりしていて、つまり物質を物質の名前で呼ぶ、といった人間界では普遍的な事実がロッキーの理解できるものであるのは不可解だ。異星人とはテッドチャンの「あなたのための物語」のように時空間を超えた隔たりがあってしかるべきだと感じる。
しかしながら、この不可解さに対しても、「共通の祖先」といった一応の説明がなされている点には感心したと付け加えておく必要があるだろう。
ベタだけど希望の物語
絶望と希望のバランスにも目を見張るべきだ。「ヘイル・メアリー(万策尽きた時の最後の頼み)」という言葉に象徴されるように、物語全体が絶望から希望への転換に満ちている。主人公が不本意ながらも、地球を救うために自己犠牲を選ぶ姿勢が感動的だ。その自己犠牲の精神を、ロッキーと分かち合う流れは最高だった。
主人公が宇宙で目覚めた瞬間の孤独は凄まじい。記憶を失った彼が、自分が何者かも知らない状況で「生きる理由」を模索する姿が、読者に共感を与える。一方、ロッキーとの交流を通じて、孤独がやがて友情によって癒されていく過程は、究極的には「人間が他者なしでは生きられない」ことを示しているのではないだろうか。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、単なるハードSFではなく、現代の我々が抱える課題や希望を寓話的に描いた作品だ。科学技術への敬意や、それが持つポジティブな可能性が物語全体を支える一方で、グレースとロッキーの関係が、単なる理論や技術を超えた「人間性」の価値を思い出させてくれる。
まとめ
本作が語るのは、人間の粘り強さと他者への信頼だ。ライランドが地球の危機を背負いながらも、未知の存在ロッキーと互いに頼り合い、一緒に問題を解決していく姿は、私たちに「孤独に見える状況でも、真摯に向き合えば理解し合える」という普遍的なメッセージを送っている。彼らの友情は、国境や文化を超えて共存し協力する未来社会の理想像と重なる。
さらに興味深いのは、この友情が決して単純な「美談」ではないことだ。ロッキーとグレースは種としても文化としても根本的に異なるが、その違いを尊重しつつ協力する過程がリアルで、読者に「自分と異なる存在を理解する難しさと価値」を実感させる。これは多様性が問われる現代社会において、極めて重要な教訓となる。
そして、科学技術と人間性の交差点に立つこの物語は、「科学が単なる道具以上のものである」という示唆を与える。グレースのように科学に命を懸ける人物がいなければ、希望の未来は訪れないが、同時にその科学を正しく活かし、人と人、人と異種を結ぶものにするには「思いやり」や「共感」という感情が欠かせない。これらがなければ、科学は単なる冷たい理論や破壊力で終わってしまう。
最終的にこの作品が教えてくれるのは、人間の小ささと偉大さが表裏一体であるという事実だ。我々はアストロファージのような脅威に対して無力に見えるが、同時に科学と協力の力で宇宙規模の問題にも立ち向かえる。ライランドが見せたように、無限の宇宙の中でたった一人でも希望を灯すことは可能であり、それが人間の存在の価値を証明している。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、読む者に「絶望を乗り越えた先の光」を見せてくれると同時に、我々が持つ可能性と責任を問いかける。だからこそ、この物語は科学や宇宙好きだけでなく、どんな読者にも普遍的な感動を与えるのだ。
余談だが、上巻の帯メッセージを書いた二人に対し良い印象を持っていないので、帯のないバージョンも店頭に並べてほしいと思った。なんてね。