ORWELL

シミュレーション

紹介

『Orwell: Keeping an Eye On You』は、ドイツのOsmotic Studiosが開発し、2016年にリリースされたサスペンスアドベンチャーゲーム。プレイヤーは国家の監視プログラム「Orwell」の新任調査官となり、国内のテロ事件の捜査にあたる。プレイヤーの役割は、インターネット上の公開情報、個人のメッセージ、通話記録などのデータを精査し、政府にとって「危険」と判断される人物を特定することだ。

本作の最大の特徴は、プレイヤー自身が情報の取捨選択を行う点にある。どの情報を政府に報告し、どの情報を伏せるか。それによって容疑者の運命が変わり、最終的には物語の結末に影響を及ぼす。


感想

プレイ開始直後、ゲームのシステムは比較的シンプルに見えた。ブラウザベースの操作で、テキストを読み、適切な情報を選び、政府のデータベースにアップロードする。この作業は淡々としているが、物語が進むにつれて、プレイヤーは「自分の選択が他人の人生を左右する」という重みを実感することになる。

序盤では単純に「テロリストを探す」ことが目的のように思えるが、次第に疑問が生じてくる。「この情報は本当に危険なのか?」「政府に報告することで無実の市民が犠牲にならないか?」そうした倫理的ジレンマが、ゲームの核心部分となっている。

あるキャラクターの発言が文脈によっては「反政府的」と見なされるが、別の視点ではただの比喩表現だったりする。もし意図的に一部の情報を隠せば、そのキャラは無罪放免となるが、逆に報告すると取り返しのつかない事態に陥る可能性もある。プレイヤーは、情報の力と危険性をリアルに体感することになる。

日本語訳は明確に弱点といって良い。クリアできないほどではないがクオリティがあまり高くないので没入感をそがれる。少し触ってみて気になった場合は英語でプレイされることを推奨したい。


考察「監視社会」と「真実の歪み」

本作のテーマは、ジョージ・オーウェルの『1984年』から強く影響を受けた「監視社会」だ。プレイヤーはビッグ・ブラザー(国家)の手となり、市民を監視する側に立つが、単なる「善と悪の戦い」ではなく、情報の持つ不確実性を描き出している。

情報は「加工」される

ゲーム内で、プレイヤーは無数の情報の中から「政府にとって重要」と思われるものを選択する。しかし、それは本当に「事実」だろうか?
たとえば、SNSの発言やチャットログの一部だけを切り取れば、どんな人物でも危険な存在に見える。しかし、コンテクスト全体を見れば、ただの冗談かもしれない。
これは現実社会でも同じことが言える。ニュースやSNSの投稿は、誰かによって「選択」された情報の集合体にすぎない。その選択が偏れば、簡単に世論は誘導されてしまう。

監視の本質は「安心」か「抑圧」か

『Orwell』のゲームシステムは、監視プログラムの便利さを示しつつ、同時にその危険性も浮き彫りにする。「市民の安全を守るために必要」とされる監視が、逆に市民を不安にさせ、自由を奪うことになるかもしれない。
テロ対策を目的とした監視が、次第に政府批判者の摘発へと転じる展開は、現実の全体主義国家でも見られる構図だ。プレイヤー自身がその「変化の過程」に関与することで、監視社会の危うさを肌で感じることになる。

エンディング

選択肢

物語の終盤に到達したとき、私は三つの選択肢を前にして、長い間悩んだ。

  1. ドラクロワ大臣の失言を暴露し、彼女を糾弾する
  2. Orwellプログラムを全うし、テロの首謀者を突き止め、糾弾する
  3. 自分自身の情報をアップロードし、Orwellの不完全性を証明し、システムを停止させる

私は最終的に、3番目の選択肢を選んだ。

なぜなら、どの選択肢も完璧ではなかったからだ。

(ドラクロワを糾弾)は一見、監視社会を終わらせるように見える。しかし、政府のトップが変わるだけで、このシステムそのものがなくなるわけではない。Orwellプログラムは、別の指導者によって再び運用される可能性が高い。

(テロリストの摘発)は一番無難に見えたが、それはつまり、この監視システムを正当化し、さらに強固にすることを意味する。そして何より、自分自身もまた「国家にとって都合のいい駒」にすぎず、いずれは監視される側に戻ることになる。

また、この選択肢を避けた理由の一つに、「Thougts(テロ容疑者グループ)の面々への愛着」もあった。
彼らは単なるテロリストではなく、政府の監視体制に疑問を持ち、体制に抗っていた。確かに彼らの行動は過激だったし、無実の人間を巻き込んだのは事実だ。しかし、彼らの動機や信念を考えると、ただ犯罪者として切り捨てるのは、私にとって抵抗があった。

しかし、だからといってテロを完全に容認することはできなかった。
だから、彼らが捕まることにつながる情報は意識的にアップロードした。しかし、国家が市民の自由を奪うOrwellプログラムをこれ以上存続させることは、自分の手で許してはならないとも思った。

そこで、私は自分自身のデータ、自分自身に関するOrwellの評価をアップロードし、有罪判決を下した。

これにより、国家は「Orwellシステムが完全に安全ではない」ことを認めざるを得なくなり、プロジェクトそのものを停止する決定を下す。
私は自分の安全を犠牲にしたが、この結末こそが、最も妥協のない「監視社会の終焉」につながる道だったと思う。

ゲームデザインの巧妙さ

このゲームは手動セーブができない
つまり、「間違えたからやり直す」ということができない。

この仕様には賛否両論あるかもしれないが、私はこの仕様が絶妙だったと感じる。
やり直しができると、つい最適な選択肢を求めてしまい、「試行錯誤して最善を導き出す」というゲーム的な遊び方になる。
しかし、本作は監視社会という「現実的な問題」を扱っている以上、一度選んだ道を覆せないことこそが、リアルな重みを生む。

「違う選択を試せないのが残念」と思う反面、「もし試せたら、こういうゲームの持つ哲学が崩れる」とも思った。
自分が選んだ道が唯一の道であり、その結果を受け入れるしかない。この「取り返しのつかない選択」こそが、このゲームの本質なのかもしれない。

まとめ

Orwellは、監視社会の倫理と現実の矛盾を突きつける名作だった。

選択によって物語が大きく変化し、プレイヤーに重い決断を迫り、「取り返しのつかない選択」を強いるデザインが秀逸だ。

私が選んだ「自分を犠牲にしてOrwellを停止させる」ルートは、最も潔い決断だったと思う。
だが、他のルートではどんな展開が待っていたのか? それを知りたい気持ちもあるが、やり直せないことこそが、このゲームの価値なのだろう。

プレイ後に考えさせられるものが多く、単なるゲーム以上の「現代社会へのメッセージ」を含んだ作品だった。
監視社会、個人情報、国家の力――これらの問題に少しでも関心があるなら、一度はプレイしてみる価値がある。

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