不安とともに始める学び直し
2025年4月、慶應義塾大学 通信教育課程 法学部乙類に入学しました。
「大学に入り直しました」と言うと、どこか前向きで意識の高い響きがあるかもしれません。けれど、正直に言えば、これは華々しい挑戦というより、静かな迷いの中で踏み出した小さな一歩です。
なぜ今、大学なのか?
これまでの人生を振り返って、特に「正義」や「制度」についてことあるごとに考えてきました。
世の中で働く中で、正当に支払われない報酬や、労働の不平等に漠然とした違和感だけがずっと胸の中に残っていたという感じでした。
ニュースを見ていても、SNSを眺めていても、人と話していても、「正しさ」の主張があふれている。だけどその正しさが、時に誰かを追い詰めてしまったり、分断を生んでしまったりするのを何度も目にして、心のどこかで戸惑っていたんです。
自分は一体、何を正しいと思って生きているんだろう?
そうした問いが言葉になり始めたのは、数年前。
そしてある日ふと手に取ったのが、神島裕子さんの『正義とは何か』という一冊でした。
一冊の本から、大学案内へ
この本は、政治哲学や法思想をベースに、「正義」という言葉がいかに揺れ動くものか、そしてなぜ人はそこにこだわり続けるのかを、多面的に解きほぐしてくれるものでした。
読んでいる間、頭の中で霧が少し晴れていくような感覚がありました。
そして同時に、「これは自分ひとりで消化するには重すぎる」とも感じました。
もっと体系的に学びたい。誰かの言葉ではなく、自分自身の言葉で考えたい。
そんな思いが少しずつ膨らんでいって、気がついたら大学での学びについて調べ始めていました。
通信制を選ぶということ
通信制というスタイルは、社会人にとってありがたい選択肢ではありますが、同時にかなり孤独な道でもあります。
毎日誰かと講義を受けたり、議論を交わしたりするわけではありません。
自分の机の前に座って、テキストを開き、レポートに向き合い、試験勉強をする。
誰かに急かされることもなければ、サボっても誰にも咎められない。
自分で自分の学びを管理しなければ、すぐに流されてしまう。
そして、それが難しいことだというのは、これまでの人生で嫌というほど実感しています。
正直、卒業できる気がしていない
誤解を恐れずに言えば、私は自分がちゃんと卒業できるかどうか、自信がありません。
出願の時点で計画を立てて、必要な単位をリストアップし、「やればできる」と自分を鼓舞しました。でもその一方で、「また途中で挫折するんじゃないか」「仕事や生活との両立に負けてしまうんじゃないか」という不安が、ずっと胸の奥にあります。
今までも何度か「何かを始めよう」と思っては、途中でフェードアウトしてしまったことがありました。
そのたびに、自分の弱さを痛感してきました。
今回も、もしかしたらそうなってしまうかもしれない。
だから私は、無理に自信のあるふりをするのをやめました。
それでも、やってみたかった
うまくいかなくてもいい。失敗してもいい。
それでも、この問いに向き合ってみたいという気持ちだけは、本物だと信じたかった。
何かを勉強すること、学び直すことは、きっと「正解」を得るためだけのものではないはずです。
自分の中にある問いに、言葉を与え、他者の知恵を借りながら少しずつ深めていくこと。
そういう時間を持てること自体が、もう贅沢なのかもしれないと思っています。
まだ始まったばかりです。
教材もまだ届いておらず、レポートの書き方もよくわかっていません。
それでも、合格通知を手に取って、「さあ、ここからだ」と思えたあの瞬間は、たしかに何かが動き出した実感がありました。
たぶん私は、いわゆる優秀な学生にはなれないと思います。
時間をかけて、何度もつまずいて、ようやく一歩進む、というタイプです。
それでも、できる範囲で、一歩ずつ、進んでいこうと思っています。
おわりに
学び直しは、自分と向き合う作業でもあります。
焦らず、飾らず、必要以上に自分を責めすぎずに、日々を積み重ねていけたらと思います。
このブログでは、そんな不器用な歩みを、ときどき記録していけたらと思っています。
もし同じように、通信制で学んでいる方や、何かを始めたいけど踏み出せないでいる方がいたら、ほんの少しでも心のどこかに届けば嬉しいです。